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過去ブログ

東京新潟物語

上越新幹線、月に1回か2回、自宅のある神奈川県と新潟県の往復で使わせて頂いている。
家族や愛犬と会える逸りを胸に抱く時も、家族が遠ざかる寂寥を背中に背負う時も、新幹線の通路の横の壁に飾られたポスターが、私の気持ちを静めて神奈川と新潟の間の距離と時間を埋めてくれます。
それは、吉乃川という創業470年になる長岡市の酒蔵の広告です。 広告のタイトルは「東京新潟物語」。 季節ごとに差し替えられて新たな物語が展開していく。 数行の文が、静かな物語として広がっていく見事な文章と写真です。 上越新幹線に乗られる方は是非眺めてみてください。
久保田、〆張鶴、緑川、菊水などの数えきれないほどの名酒を誇る新潟県ですが、吉乃川も新潟のお酒の特徴である「すっきりとして、深みのある、さわやかな」味を代表する銘柄です。 新潟にお越しの際は、他の名酒と同様に吉乃川も是非お試しください。
 
2018年1月27日 開発部 山瀬雅男

昭和51年のクリスマス

隣には、春夏秋冬暇さえあれば山に籠っているB先輩。
「おい、山瀬」 「すまん、この写真に似た人がいたら、この写真をその人に渡してくれ」 「なんですか、いきなり、そんなの無理難題ですよ」(ちなみに当時は携帯電話もインターネットもない)
「あ、これ穂高ですね、きれいな人だなぁ」 「多分どこかでピアノを弾いているんだ」 「どこかって?」 「わからん」 「なにがあったんですか?」 「2年前だけどな、この写真よく見てどこかおかしいと思わないか?」 「ちょっと秋にしては少し軽装かな?」 「なぜか山を楽しむという雰囲気じゃなかった、だから、少しでも良い思い出をと思って写真を撮らせてもらって、後で送るからと聞いたんだ、・・そうしたら、いらないと言うんだ、この山は初めてかと聞いたら、父親に高校生の時に何度か連れて来てもらったそうだ」 「先輩ごっついから怖かったんじゃないんですか?」 「そうかもな」 「それで一目惚れですか?」 「そうじゃないんだ、なんか気になってな、しばらく後を100m位離れて歩いて行ったんだ」(当時はストーカーという言葉はなかった)
「そうしたら突然見えなくなってな、急いで後を追っかけたがどこまで行っても見えないんだ、・・もしかしたらと思って戻り始めたがすれ違った登山者もそんな人は会っていないというんだ」 「遭難ですか?」 「直感でそれだろうと思った、あと少し探して見つからなかったら山小屋に戻って救援依頼を出そうと思っていた」 「それで?」 「バンダナが木の枝に結ばれていたのを見つけた、そしてその先を歩いて行ったら崖で、下を覗いたら、倒れている彼女を見つけた、脚と指は骨折していたし、傷も深かったし失血もひどかった、・・・それからは必死だった、彼女を担いで崖を登って、山小屋まで1時間歩いた、生きるんだ!生きるんだ!って叫びながらな」 「先輩の声大きいから皆に見られていますよ」 「すまん、すまん」 「それで、助かったんですか、だからこの写真の人を探しているんですよね、連絡先も聞けなかったら、救助隊とかだったら教えてくれたんじゃないですか?」 「そうなんだけどな、聴くのも変かなと思ってな」 「先輩らしいや」 「俺はしばらくヨーロッパ駐在なんで、お前に預けておけば見つかる確率も俺より大きいかなと思ってな、唯一の手がかりは写真を撮るときに聞いた、音大生でアルバイトでピアノを弾いているということだけだ」 「なんか私が毎晩どこかを飲み歩いているみたいに言わないで下さいよ、結局一目惚れなんですよね、きれいな人だし」 「違うんだ、またピアノを弾いていてほしいんだ、そのピアノを聴いてみたいんだ」
・・・・・
「先輩、この曲は”恋人よ我に帰れですよね” いい曲ですね」 「ああ、そうだな・・・」・・・・・ 「先輩、どうしたんですか? まさか・・」
「彼女だ、彼女がピアノを弾いている」
・・・・・
「1曲目は、”恋人よ我に帰れ”でした、・・・私は今ピアノを弾いています、あなたに助けられた命でピアノを弾いています、大きな声さん、では次はテネシーワルツをお聴き下さい、メリークリスマス」
「先輩、彼女泣いていますよ、あ、先輩も・・・」 「先輩、メリークリスマス」 「メリークリスマス」
お店のスタッフもお客さんも、みんなで「メリークリスマス!」
 
2017年12月17日
開発部 山瀬雅男
 

昭和51年のクリスマス・イヴ

隣には、ビートルズかぶれのA(1年後輩)、マッシュルームカットで、チェックのセーターとジャケットのイギリスかぶれ。
「山瀬先輩」 「なんだよ」 「付き合せちゃってすみません」 「お前が勝手に付いてきたんじゃないか」 「今日は飲みましょう」 「今日もだろ」 「クリスマスなのに先輩は、彼女とかいないんですか?」 「ほっとけ、この位で酔っぱらうな、ところで、お前こそ何でここにいるんだ? お前から預かったクリスマス音楽会のチケット、ちゃんと総務の節ちゃんに渡しといたぞ」 「彼女のことを”節ちゃん”とか気安く呼ばないでください、ところで、彼女になんて言って渡したんですか?」 「そりゃまあ、なんだよ、Aがね、ソノー音楽会のチケットがなんか余っちゃって、そいで節ちゃんがピアノを習っているし、音楽も好きかなーて感じで、1枚節ちゃんに渡してくれって言われちゃってさ、でもさ、なんかあいつ恋に落ちてしまったーという眼をしていたよ・・って」 「あー、なんで先輩なんかに頼んじゃったんだろう、あー」 「でも好きなんだろう、節ちゃんのこと?」 「あー”節ちゃん節ちゃん”って、よくそんなに気軽に女の子に声をかけられますね」 「そりゃ、俺だって惚れた女だったら、そんなに簡単に声ををかけられないよ」 「そんな処にのこのこと僕が行けるわけがないじゃないですか、大体来ているかどうかも分かりませんよ」
「なあ、A」 「なんですか?」 「行ってみようか?」 「どこへ? まさか・・」 「来ているかもしれいぞー、しれないぞー」 「先輩は来なくっていいですよ」 「ばか、お前は行ったふりしてその辺に隠れているかもしれないじゃないか」
「マスター、ちょっと出かけてくるわ、一人で帰ってきたら一杯奢ってくれる?] 「いいですよ」 「二人で帰ってきたら、ヤケ酒だ、レッツゴー、ジングルベル、ジングルベル」 「先輩、勘弁してくださいよ、もう開演しているから間に合いませんよ」
・・・・・
「着いたぞ、ここだ、ここだ」 「先輩、扉が閉まっちゃっていますよ」 「そうだな、もう入れないみたいだな、 この扉の隙間からちょっと音が聞こえてくるぞ」 「そうですね」 ・・・
「あのー、こっちの隙間の方がよく聞こえますよ」 「え!」 「え!」 「あ、節ちゃん」 「あ、Mさん(彼女の名字)」
「どうしたの? 入れなかったの?」 「もしかしたら、Aさんが来るかもしれないと思って」 
「節ちゃん、届け物が終わったので俺帰るね、じゃ、あばよ」
・・・・・
「Mさん、ごめんね、待たせちゃって」 「Aさん」 「なに?」 「マッシュルームカット似合うね」 「有難う」 「メリークリスマス!」 「メリークリスマス!」
 
To hear silver bells ringng
See winter time bringng
 
2017年12月16日
開発部 山瀬雅男
 
 

新型aiboが発売されました

aibo
ウルフドッグ
新型aiboが11月1日に発売されました。
可愛いですね。
私は、今5匹目の犬を飼っています。
最初の犬は、小学校1年生の時に初めて両親が飼うことを許してくれた捨て犬です。 何回捨てても家までついてくるので父親も最後はあきらめました。 白と黒の毛色がパンダのようでした。 彼は私の少年期の最高の話し相手になってくれました。 そして中学生の時に自らの死をもって私に愛する者との死別という経験をさせてくれました。 泣きながら電話帳から調布の動物の墓地を見つけて埋葬してもらいました。 その後に飼った犬も同じ墓地に埋葬されています。
2匹目の犬も、家に迷い込んできた捨て犬で濃い茶色の典型的な雑種の姿かたちをしていました。 彼は、私の思春期に底抜けの善良さというものがどういうものかを教えてくれました。 彼はいつも私にやさしく、毎日家に帰る意味を教えてくれました。 彼は夜の帳が降りる頃に、よく空に向かって遠吠えをしていました。 その姿がとても気高く、縁側で見とれるのが好きでした。
3匹目は、近所で生まれた子犬を譲ってもらった白い犬でした。 私の妻が最初に接した犬となりました。 そして彼は娘たちの幼少期の友となってくれました。
4匹目は、会社の同僚の自宅の前に段ボールに入れられ捨てられていた犬を譲ってもらった犬でした。 子犬のころはゴールデンリトリバーそっくりでしたが、成長するにつれ典型的な雑種の姿かたちになりました。 彼女は、娘たちにやはり底抜けの善良さとどういうものかを教えてくれました。 19歳まで生きて家族に見守られて息を引き取りました。
今の犬は、初めてお金を出して買ったボーダーコリーです。 初めて屋内で飼っているので、前の4匹より過保護に育っています。 末娘に無理やりタイガースファンにさせられています。
 
犬が持つ善良さは、最初に人と一緒に生活することを選んだ、好奇心の強い狼の個体の性格を受け継いだものでしょう。
気高さを持った犬は、遠い祖先の野生の狼の血を多く受けついだ者でしょう。
aiboが、犬の持つ善良さや気高さを持てるようになるには、あとどの位かかるのでしょう。 そしてその機能が人間型ロボットの人工頭脳に展開されたとき、人間の存在意義はどうなっているのでしょうか。 今の若者たちは、いつかそんな局面に立ち会わなければならないかもしれません。
 
2017年11月10日
開発部 山瀬雅男

AI(人工知能)

今日の新潟は台風の影響で1日雨です。
 私は、人に言えるほどの趣味を持っていませんが、若いころに少し打ち込んだ囲碁を5年前から再開しています。 今日も、窓の向こうの雨を見ながら囲碁を打っています。 といっても囲碁は対戦相手が必要なゲームで、若い頃はは月に一度位の割合で碁会所にいっていました。 なぜ20年以上も間をあけていたかというと人間相手だと勝ち負けで気が荒れる人もいるので面倒くさくなってしまったというのが理由です。
 もう囲碁をやる機会はないと思っていましたが、PCの囲碁ソフトが進化しているということを知り、PC相手に再開した次第です。 この5年間のソフトの進化は驚異的で、ディープ・ラーニングというアルゴリズムの導入で、膨大な数のプロ同士の対局を記憶させ、CPUの進歩で得た計算速度を使って、その中から最適な一手を選択するというものです。 私位のレベルでは、もうソフトからハンデキャップをもらわないと勝てないようになってきました。
 何とか私が対局の相手をできているのは、PCソフトの幾つかの「くせ」がわかってきたためです。 ある局面になると必ず同じ間違いをするのです(その局面まで持ち込むことが大変なのですが)。 つまり姑息な手段を使っているのです。 このことの意味するところは、PCソフトが自己学習できるのは開発終了段階までで、一度世の中に出てしまったソフトには自己学習能力がなく、自分のプログラムを書き換えられないことです。
 しかし、もし私の使っているPCソフトがネットで通信できて、中央のメインPCと接続されていて、その膨大な計算能力を駆使されて私のPCの中のプログラムを書き換えられたら、私は星目(先に9手を決まった場所に打てる)のハンディキャップをもらっても勝てる確率はゼロに近くなるでしょう。
 もし、そんなPCと少年期のころから対局していたら、人間の頭脳はどこまで進化していくのでしょうか。 ほかの分野でも同様なことが起きて、人工知能と競いながら成長した人間はどこまで進化するのでしょうか。 それとも、途中でギブアップして、考えることは人工知能に任せてしまうのでしょうか。 それもある程度以上は進化しないように制限を加えるのでしょうか。
 それとも、人工知能は人間の考えたアルゴリズムまで自分で改良してしまうことが出来るようになるのでしょうか。
 その時、人間と人工知能との関係はどうなっているのでしょうか。
 人間は、自分達が生み出した、自分よりも知能が高い「種」に冷静に対面できるでしょうか。
 そんなことに直面する時代は、もうすぐそこに来ているのかもしれません。
 
開発部 山瀬雅男

昔の記事

昭和63年11月22日に当社の記事が新潟日報に掲載されていました。 29年の歳月を経て、一昨日に最近の当社の記事が日経新聞に掲載されています。 新工場で働けるという、当時の社員たち高揚感が見えるようです。 昭和63年といえば、バブルが始まって2年位経った頃で、当社も恩恵に預かったことを、その当時からの社員(結構多い)達から昔話として聞いています。 私も一生無理かなとあきらめていた一軒家を買うという希望を持ち始めたころです。   受注も多く、大企業も外注への価格ディスカウント要求も少なく、その代り連日深夜まで働いたという状況だったようですが、現在は、日本全体の産業が低迷している中で、当社も厳しい運営を強いられながらも、ここ数年堅実に業績を回復させつつあります。 
これからの世代の社員たちが、30年後に上記日経の記事を見てどのような感慨を持つのでしょうか。
開発部 山瀬雅男

鷹山公

上杉神社への参道で上杉鷹山公像と出会いました。
鷹山公は、高鍋藩の次男として生を受け、1760年米沢藩主上杉重定の養嗣子となりました。1767年に家督を継ぎましたが上杉家は借財が20万両に累積する一方、石高が15万石でありながら初代藩主上杉景勝の意向に縛られ会津120万石時代の家臣団6,000人を召し放つことをほぼせず、そのため人件費だけでも藩財政に深刻な負担を与えていました。鷹山公は、産業や財政に明るい専門家を重用し、それまでの藩主では1500両であった江戸での生活費を209両余りに減額し、奥女中を50人から9人に減らすなどの倹約を行いました。天明の大飢饉で東北諸藩を中心に餓死者が多発していたが、鷹山公は非常食の普及や藩士・農民へ倹約の奨励など対策に努め、自らも粥を食して倹約を行いました。また、学問所を興譲館として再興させ、藩士・農民など身分を問わず学問を学ばせました。鷹山公はまず目標を示し、そこに至るまでの対策を立てました。 また、物事がよいか悪いか、守るべきか変えるべきかについて後回しにはせず、速やかに決定することを重視しました。これらの施策で破綻寸前の藩財政は立ち直り、次々代の時代に借債を完済しました。1785年に隠居しましたが、逝去まで後継藩主を後見し、藩政を実質指導しました。1822年死去されました。
童門冬二さんの「上杉鷹山」お勧めです。
 
217年7月20日 
開発部 山瀬雅男

ケネディと鷹山

鷹山公像の隣に、元駐日大使のキャロライン・ケネディさんのメッセージが飾られていました。 J.F.ケネディ大統領の娘さんですが、大統領が就任の時、日本の新聞記者が「日本で最も尊敬する政治家はだれですか」と質問しました。これに対し、ケネディは「上杉鷹山(うえすぎようざん)です」と答えたそうです。 その父親の思いを携えて米沢を訪れたのでしょう。
 
2017年7月19日
開発部 山瀬雅男

上杉神社

7月20日 午後のサポイン(戦略的基盤技術高度化支援事業)研究推進会議に向けて、研究の成功を祈願するために山形県米沢市の上杉神社にお参りしました。  上杉謙信の「義」という信念がその後の日本人の精神的遺伝子の一部を構成していると思いますが、あらためて境内の宇宙と共鳴でき、研究に全力を尽くすことを誓いました。
 
201年7月19日
開発部 山瀬雅男

全力

時々会いに行行っています

久しぶりの更新です。
2017年7月5日  開発部 山瀬雅男
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混ぜるということ

2016-10-09
このホームページの、製造工程の頁で、材料を混ぜることが砥石製造の一つの要であることを述べています。 アダマスに入社するまでは、あまり興味のある分野ではなかったが、材料を混ぜる工程の当社の熟練工の手捌きを見ているうちに妙に気になる作業になってきました。
私は、元々神奈川県人であるが、今は昔からの新潟県人のような顔をして当地に単身赴任しています。
部屋に閉じこもるのが嫌いなのと、趣味もほとんどないので、会社にいないときはお風呂(出来れば温泉)に入るのが唯一の楽しみです。 アパートのお風呂は、ビジネスホテルの風呂をさらに小さくしたようなバスで楽しみも半減するのだが、外の風呂ばかり入っていると経済的に持たないので、ここではアパートのお風呂の話をします。 みなさんご存知の方も多いと思いますが、水は4℃の液体状態のときが一番密度が高くそれよりも熱いお湯は密度が低くなる(同じ体積で比較すると軽くなる)ので当然風呂桶の上の方に移動します。 熱いほど密度が低くなるので一番熱いお湯が風呂桶の最上面に漂います。 今までは無造作に片足を入れてぐるぐる回したりしていたのですが、「混ぜる」ことに目覚めた私は、どのように掻き混ぜたら、風呂桶内の水を最も早く均一な温度に出来るか日夜研究し続けました。 その結果足をひたすら前後に動かすと早く温度が均一になることを発見しました。 回転流はあまり上下の水を置換させることに役立たないようです。
もう一つ分かったことは、お風呂の中で手足を動かすことは、ダイエットにも効果がありそうということです。
さらに、雪かき用のスコップで掻き混ぜを試みたのですが、腕の筋肉が悲鳴を上げて、数日間お箸を持てなくなりました。
ところがこのスコップを掻き混ぜるのではなく杖の様に風呂桶の底に立てかけて、足で掻き混ぜたらさらに著しい効果を得られました。
ここではたと気が付いたのですが、これは流体力学で言うう「乱流」と「整流」の違いにあるのではないか?液体を混ぜるのは整流よりも乱流の方が効果があるのではないかと思い至りました。
こんなことは流体力学を学んでいる或いは教えている人たちにとっては、「砥石を持つと何かを削りたくなる」位に当たり前のことなのでしょうが、私はそれに気が付くまで1か月の時間を費やしてしまいました。。
では当社で行っている固体の粉や粒を均一に混ぜることが出来ているメカニズムは?
どうやって均一に混ざっていることを確認しているのか?
どこまでの不均一さを許容しているのか?
宇宙の始まりがいまだに多くの物理学者の間で議論されているように、私が究極のところまで理解しているかどうかは、まだ自信がありませんが、当社の先輩技術者の方々に教わりながら第二弾としていつかお話をしたいと思います。
余談ですが、宇宙の始まりについては「無」と「素粒子」の間の「ゆらぎ」「不確定性」に起因しているようだという説にまとまりつつあるようです。
この「ゆらぎ」という言葉は私がとても好きな言葉です。
理由は別の機会で。
 
開発部 山瀬雅男
 

砥石の不思議さ

2016-10-08
当社の砥石を構成している材料は、粒状のダイヤモンドと紛体状の結合剤(樹脂または金属粉)の微粒子である。 結合剤については、理想的に焼結できれば、それぞれ合金化・高分子化が完成し、その分布のばらつきはその中に吸収されてしまう。 しかし砥粒は焼結後もその形態をそのまま維持する。 その一つ一つを砥石の座標の中でどの位置に配置するかを制御するのは当社の技術では(おそらく他社の技術でも)不可能である。 何年か前に、メッキ方式の砥石でピンセットを使って砥粒を並べるという実験をされた先生の文献を垣間見たことがるが、その労力は尊敬するがとても自分でやる気が起きる実験でなかったことは覚えている。(もしかしたら半導体製造の後工程で使うボンディングマシンのようなロボットを流用すれば可能かもしれないが、砥粒は結晶の向きでも研削性能が異なるらしいので画像判別装置も必要となるであろう)
従って砥粒の分布のバラツキ状態もミクロ的に見れば密集している個所と疎な個所が存在する。
砥粒の粗密な状態によって、研削の特性も性能も異なるはずである。 一つの砥石の中に、違う種類(違う集中度)の砥石が混在していることになる。 しかし、当社の製品で、同一種類の砥石間で特性や性能が異なる(製品バラツキ)は滅多に見られない。
この現象を、数学的に証明できると思うが、いつか挑戦してみたい。
 
開発部 山瀬雅男
 

砥石の難しさ

2016-10-02
私は、半導体製造装置等のメーカーで、45年間開発・設計畑を歩んできました。 現役の設計者として装置全体の構成を任されていた時は、平均1万点以上の部品の仕様を決めていかなければなりませんでした。 今ではそういう装置メーカーもユニットのアセンブリー会社に変化しつつあると聞いていますが、それでも数百点のユニット点数があるでしょう。
いま、私がアダマスで製造にかかわっている砥石製品は、砥粒、数種類の結合剤材料の構成のみで、数点の構成要素から成立している製品がほとんどです。 他の同業メーカーの砥石も、ほとんど同じだと認識しています。 この数点の材料の組み合わせで、他社製品に対して差別化したものを適時開発していかなければ生き残っていけないのが砥石市場です。
では、この数点の構成材料でどのように差別化するかということですが、そこに製造工程のノウハウが加えられるのです。 どの砥石メーカーも門外不出、秘伝中の秘伝ノウハウがあります。
それは、ある部分で錬金術や魔法的な面を見せるときがあります。
当社でも、その方法で多くの優れた砥石を世に送り出しているので、そんな魔法がとても神秘的で魅力的です。
多分、歴代の陶芸の名人たちと共通する波長を当社の技術者たちは持っていると思います。
その中に入って、自分が経験してきた科学的な思考や行動が、優れた砥石を作り出していけるかどうかは、全く分かりませんが、人生の最後の炎を燃やすに値する分野と思い、日々奮闘しております。
 
開発部 山瀬雅男

マイブーム言葉集

2016-10-01
最近、私の心の中で連発している言葉集。
「が~ん」 「あっ」 「うっ」 「えっ」 「しょぼ~ん」 「まさか」 「つかれた~」 「たすけてぇ~」 「それはないだろ~」 「どこに置いた~?」
たまには言ってみたい言葉集。
「やったぁ~」 「おっと、礼はいらないぜ」 「ただの通りすがりのもんだが」 「君の瞳に乾杯!」
10年後にまだ新潟にいたら言っていそうな言葉
「あなた変わりはないですか、日ごと寒さが募ります」 
「こんな上手い米と酒が飲めて、もう思い残すことはない」と毎日言っている。
 
開発部 山瀬雅男

開発

2016-09-29

当社の開発部で働くために、遥か神奈川から赴任して1年以上になります。 開発と言っても、国立大学の研究室や大手企業の研究所で進められているゼロから1をつくるような、科学の根源にかかわるようなものをやっている訳ではありません。 ゼロから1にするわけですから、無限大の努力と天才の頭脳が必要になるわけですが、それでも世の中に成功例として発表されるものは、0.1%(1/1000)以下でしょう。

当社の開発部が目指しているものは、世の中にある材料や、既成の技術を組み合わせて新しい砥石製品を作れないかに挑戦している、いわば1を100にするような開発です。 無限大に比べれば、100倍ですから、実現に至るの確率は遥かに高くなります。

そこに、大手企業や研究機関の様に、資金も人材も時間も多くを投入できない中小企業でも可能な開発のチャンスが生じます。

また中小企業は、開発したものが売れないものであった場合、そのダメージは大手企業の比ではありません。 したがって当社の開発部は営業との緊密な連携で、売れないものが出来ないように軌道修正しながら開発を進めていかなければなりません。 また当社にとって開発目標が大きすぎて身の丈に合わない場合でも、その成果物が市場獲得の大きな可能性を有している場合には、可能な限りの外部リソースの助けを借りることにも躊躇する理由はありません。 平成26年度、27年度の「ものづくり・商業・サービス革新補助金」を2年連続採択されたことや、平成27年度の戦略的基盤技術高度化支援事業に採択され、山形工業技術センター、山形大学、彌満和製作所、岩手大学などからの技術支援を受けることにより、外部資金と人材、知財を得られるようになりました。 新潟の小さな砥石企業から、画期的な製品が発表されることを楽しみにお待ちください。

 

開発部 山瀬雅男

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株式会社 アダマス
〒959-2477
新潟県新発田市下小中山1117番地384
TEL.0254-33-2211
FAX.0254-33-3756
ダイヤモンド砥石の製造・販売
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